いくつになっても教えを請う

私には今、先生が2人いる。

マーシャルと335('66)
マーシャルと335('66)

1人がギターの先生。

 

ギターは学生時代からやっていて、20代の頃はブルーズを習っていた。

再開した理由は、近所に手頃なギター教室があることを知ったから、そしてせっかくのヴィンテージをこのまま眠らせるわけにはいかないから(笑)


先生は自身のファンクバンドのメインギターを務めていて、ソウル、ロック、ブルーズからジャズ、フュージョンまで何でもこなす。

目の前で上手い人のプレイを見ると、当然に感化される。いろいろ質問しても、理論的な話を交えてすぐ答えてくれる。

 

 

でもう1人が英会話の先生。


昨今のグローバル化に後れを取らないため(笑)、そして身内に堪能な人がいることもあって以前から興味があったためという理由で習い始めた。

 

先生は毎回、興味をもちそうなテーマを用意してくれるのだが、その場その場の会話の流れで、結局どんどんテーマから外れていく(笑)

でもそれで全然OK、楽しむことが最優先なのだ。

 

ただネイティブの発音やフレーズを聞き取るのに必死な私は、とても楽しむ余裕などない(涙) 先生、容赦なし。こっちはギターのようにはいかない。

 

 

人は年を重ねるほど、誰も教えてくれなくなるし、自ら人に教えを請うことも減る。

それは、実に寂しく不幸なことだと思う。

私は仕事柄、先生と呼ばれることがあるが、逆の立場になることで、先生と呼ばれる人はどうあるべきか客観視することもできる。

 

いくつになっても、仕事でも趣味でも勉強でも、とにかく先生と呼べる人をもつこと、素直に教えを請うことはいいことだと思う。人生は好奇心の連続であり、一生勉強だからね。


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