AIとBIはいかに人間を変えるのか

本の紹介。

本書は、AIやBI(ベーシック・インカム)、そしてそれらが人間にもたらす影響について分かりやすく解説していて、非常に興味深く読めた。お勧めの一冊。

 

AIについては、強みや弱み、課題といったものを客観的に解説していてるところがいい。

この先、AIに完全に凌駕される分野もあるし、感情労働のように人間にしかできない分野もある。「モラベックのパラドックス」のように人間とAIが共存していく分野もある。全てが完全にAIに支配されることはない。

 

 

特に興味があったのはBIだ。

当初、BIの導入意義を、AIの発展→人間の仕事がなくなる→収入が減る→BIで最低限の生活を保障する といった程度で捉えていたけど、そんな単純な話ではないようだ。

それは、想像以上に進行している我が国の「貧富の格差」や「貧困率」を是正し、本来の資本主義と民主主義を回復させることに他ならない。

結局、中間層の資産が増えなければ経済は回らないし、受けたい教育も受けられない。

 

筆者は、BIとして国民一人あたり月8万円の支給を提案している。

その財源として必要な年間約122兆円は、BIで不要になる国民年金、生活保護費、失業保険を充当するほか、消費増税や企業・家計の金融資産への課税など国民負担率を60%まで引き上げれば足りるとしている。再配分として、富裕層から低所得層へ富を移転することは必須のようだ。

 

ただ、老後など将来の生活不安からデフレマインドに陥っている今の日本人の中で、BIで収入が増えたところで、その分積極的に消費に回そうとする人は一体どれだけいるだろうか。

ちなみに我が国の6人に1人が、等価可処分所得122万円以下での生活を強いられているという。月10万円ほどだ。それにBIの8万円を加えると月18万円。積極的に消費に回そうという気にはならないと思う。

だとしたら、消費に回すまでBIの金額を釣り上げればよいのかもしれないが、その場合インフレの影響はどうなるのだろうか。(そのあたりは本書では触れられていなかった)

 

 

BI導入における阻害要因として、人は働かなくなるのでは?という「フリーライダー問題」への懸念がある。

その点については、海外におけるBI導入実験についていくつか紹介されていて興味深い。カナダのミンカムは、国民生活の豊かさが向上し、社会的コストが削減したようだ。現在進行中のフィンランドの実験結果が待たれる。

中には、BIで働かなくなる人もいるのだろうが、そういうダメ人間は、BIがあろうがなかろうが恐らく同じなんだと思う。

 

阻害要因でなるほどと思ったのは、行政側の「自分たちの仕事がなくなる」という懸念。

BIは全国民に一律の給付金を支給する制度だから、これ以上シンプルな制度はない。行政の複雑な手続きは生じない為、結果社会的コストを下げる効果があるのだが、BI導入を嫌う役人はいそうだ。

そう考えると(社労士としてご法度かもしれないが)、つぎはぎだらけの複雑怪奇な年金制度は、BIで一掃されればいいと思う。

 

 

AIの発展で、我々人間が働かなくてもよくなった場合(働けなくなった場合)、いったいどうなってしまうのか?

一部の資本家による完全支配と、所得と消費の減退による経済の崩壊というディストピアが待っている。そこでBIによる再配分が必要になる、というわけだ。

 

そして行き着く先は、働こうが、ボランティアをしようが、遊ぼうが何をしても自由であり、「働かざる者、食うべからず」から「働かなくても、食ってよし」という第3ステージだ。「生きるための労働」が無くなり、働くこと自体の意味・価値観が180度ガラリと変わるステージだ。

他方、強制なき自由な世界では「退屈の不幸」という悩みが待っているという。自由になったとたん、それはそれで悩むというのは、何とも人間とはいつでも悩むようにできているようだ。

こういった、まるでギリシア時代に戻ったかのようなユートピアの世界は、実につまらない退屈な世界に映るのは僕だけだろうか。(少なくとも起業家や経営者には耐えられない世界だろう)

 

 

当初、BIという制度は単なるばらまきに近い施策だと思っていたが、その中身や効果を知れば知るほど、導入する一考の余地はあると感じた。

経済はぱっとしない、社会保障は先細り、政治はあてにならないで、将来ビジョンが全く見えない閉塞感しかないこの国に、BIは打開策となり得るかもしれない。


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